1974年の中日ドラゴンズのユニフォーム

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1974年の中日ドラゴンズのユニフォーム1974年1986年まで13年間に渡って使用された定着2代目ドラゴンズブルーユニフォームの中で、この年のみ使用されたオリジナルデザインのユニフォームのことを指す。ユニフォームはモデルチェンジしたものの、スパイクシューズのみ前年までのものと同じ黒のラインなしであったが、翌年からスパイクシューズもドラゴンズブルーに変更したため、便宜上短命ユニフォームとして扱っている。

デザイン[編集]

ホーム用ユニフォームは白地に青のライン(上着は首周り・袖・肩から袖に掛けて幅が広がる形状・脇の下~脇腹。ズボンは腰部分のベルト通しから裾に掛けて細くなる形状)と袖に赤いライン。ビジター用ユニフォームはスカイブルー地に赤のライン(形状はホーム用と同じ。)と袖に青いライン。帽子は青、CDマーク・空気穴・天ボタンが白。ホーム用胸ロゴは筆記体Dragons、ビジター用胸ロゴはゴシック体CHUNICHI。胸ロゴ、胸・背番号はホーム用が赤に青い縁取り、ビジター用は赤に白い縁取り。スパイクシューズは黒のラインなし。ユニフォーム上着はボタン止め。

概要[編集]

1974年10月12日中日ドラゴンズ読売ジャイアンツの10連覇阻止となる20年ぶり2度目のセ・リーグ優勝を当時の本拠地・中日スタヂアムで決めているが、この時に中日ナインが着用していたデザインのユニフォームが1974年から1986年まで実に13年間という長きに渡って使用されたデザインである。ただし、スパイクシューズは前年(1973年)まで使用していた黒のラインなしであった。翌年にスパイクがドラゴンズブルー(青地に白ライン)に変更した2代目バージョンが登場したため、新ユニフォームに黒スパイクという組み合わせのオリジナルデザインは僅か1年のみの短命であった。1970年代中盤、各球団ともユニフォームのカラー化が進むにつれて、スパイクもユニフォームやチームカラーに合わせる傾向が見られ、セ・リーグでは中日が初めてカラー(青)・スパイクを導入した。

補足事項[編集]

中日ドラゴンズの定着2代目は13年間という長きにわたって使用されたため、度重なるマイナーチェンジを繰り返した。内容は以下の通りである。

  1. 1977年に背番号の上にネームが入る。
  2. 1981年に上着が完全ボタン止めから第2ボタン止めのセミプルオーバータイプに変更。
  3. 1984年に上着が完全プルオーバータイプに変更。

また、1984年~1986年にかけて毎年のように細部のマイナーチェンジを繰り返しているが、これらについては1984年・1985年・1986年の中日ドラゴンズのユニフォームを参照のこと。