1969年の南海ホークスのユニフォーム
1969年の南海ホークスのユニフォームは1969年に南海ホークスが1947年以来使用しているチームカラーの緑に加え、オレンジ色を取り入れたユニフォームだが、わずか1年で封印された短命ユニフォームである。
デザイン[編集]
帽子・アンダーシャツ・ストッキングの色、ユニフォームがホーム用・白、ビジター用・グレー、ホーム用の胸ロゴである筆記体のHawks・ビジター用の胸ロゴであるNANKAIの文字、背番号の色が緑であるのは1968年までと変わっていない。1968年までの相違点は緑の胸番号が登場(それまでは緑のズボン番号)した事と、肩から袖にかけての太いラインが廃止され、袖・ズボンのラインが中央オレンジ・両端を細い緑で挟んだ配色となり、帽子の白いNHマークのHがオレンジに変更されたことである。
概要[編集]
1946年以来23年に亘って指揮を執っていた鶴岡一人監督が1968年限りで勇退。後任監督は前年、鶴岡の要請でヘッドコーチに就任した飯田徳治に禅譲された。心機一転を図る意味でユニフォームも新調され、チームカラーの緑以外の色であるオレンジを初めて取り入れた。しかし、この年チームは開幕から低空飛行を続け、パ・リーグ新記録(当時)となる15連敗をマークするなど苦戦。また、投手陣・打撃陣ともに故障者が続出するなど誤算が相次ぎ戦後初の最下位に沈む。飯田監督はこの責任をとりわずか1年で辞任。主砲の野村克也捕手が兼任監督に就任し、ユニフォームも翌年からオレンジ色を省いた新ユニフォーム(鶴岡監督時代のものを踏襲したデザインだが、腰番号が胸番号に変わり、番号の書体が変わり、肩のラインがない)に変更した。したがってわずか1年で封印されることとなったが、練習用としてはその後も使用された模様で、1970年に広島東洋カープから加入した古葉竹識内野手が着用した写真が残っている(1992年刊のベースボール・マガジン社『プロ野球トレード史Ⅱ』等に掲載)。