高橋是清
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高橋 是清(たかはし これきよ、嘉永7年閏7月27日(1854年9月19日) - 昭和11年(1936年)2月26日)とは、日本の政治家。第20代内閣総理大臣、大蔵大臣、日銀総裁。世界最速でデフレーションを克服させた総理大臣として有名。
政策[編集]
- 高橋是清のリフレーション政策手法
世界経済は世界恐慌に陥り、日本は昭和恐慌に波及した。高橋是清は日銀に直接国債を引き受けせ、無借金で復興・復旧に歳出予算をつけ、昭和恐慌=デフレを克服させることに成功した。金本位制から通貨管理制度に移行した日本は、まだ経済の教育が国民に行き届いておらず、お金が無くなってしまうのではないか?と言う不安に駆られた国民は取り付け騒ぎを起こし銀行へ押し寄せた。是清はその混乱を収めるため、日銀に片面印刷の札を大量に発行させ、それを銀行の店頭前へ置き「お金なら刷れば沢山ある、心配するな」と混乱を収拾さた。経済政策では、日銀に直接国債にお金を引き受けさせ、復旧・復興でお金を消化・循環させるリフレーションを成功させた。その是清の経緯を知った軍部は、直受け予算を軍に要求し、戦争をさらに拡大させていく暴走を引き起こしていった。経済に予算をつける是清に対し、軍に予算(戦時公債)を付けようとする軍部との対立で、2.26事件にて高橋是清は軍部に暗殺される。ジョン・メイナード・ケインズはその後、是清の経済手法と同様の経済理論を提唱しており、高橋是清は日本のケインズといわれるようになった。
財政法5条特例は戦後その手法の名残として立法され、特別な理由がある限り、リフレーションを発動できるようになっている。
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