香宗我部 秀義(こうそかべ ひでよし、? ‐ 大永6年(1526年))は、戦国時代の武将。
香宗我部親秀の嫡男で嗣子であったが、大永6年(1526年)に安芸郡の安芸氏と香宗城攻防戦で戦って敗れ、家臣の村田新六左衛門ら16名と共に櫓の上において自害したという[1]。
秀義の戦死で嗣子を失った親秀は実弟の秀通を嗣子としたが、秀義の死は香宗我部氏没落、御家騒動の一因となった。