霧島未來

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きりしま みらい
霧島 未來
本名松岡 未來 (霧島は父方の祖母の姓)
生年月日1974年9月22日(50歳)
出生地福岡県久留米市
出身地日本 新潟県柏崎市
身長162
血液型A型
職業歌手 造形美術家 
ジャンルJ-ROCK J-POP PUNK-ROCK 抽象画 オブジェ 彫刻
活動期間1988-
活動内容RED、SCARREDのヴォーカリスト 画家 造形美術家
配偶者松岡充 1992-1995
事務所WARNER MUSIC JAPAN
主な作品
CD

「CLOUDY LABEL オムニバスアルバム」


「STOM AND WILL」


「SCARRED」

   命のあさがおテーマソング(ジャケット画提供)ライブでは支援バンドのヴォーカルを担当。


【ラジオ】   FM新津 ゲスト出演 インターネット放送 「毒猫」パーソナリティ 同番組で放送した、

【歌】 中山美穂&WANDS「世界中の誰よりきっと」のカバーがインディーズリスナーチャートで1位を記録した。

【美術】

(小物 オブジェ 絵画) セリア ダイソー 秋月貿易

ポスター 「Dear girls 」は初版で2万枚の売上を記録。 続いてリリースしたポスター 「Back Stage 」も初版で2万枚の売上を上回っている。


絵画 「全ての憎しみと悲しみに捧ぐ」 はパラリンアート世界大会で特別賞を受賞。


【テレビ】 フジテレビ制作「傷だらけのラブソング」ヒロイン島崎未来のモデルと言われている。本編ヒロイン未来は最終回で華やかに芸能界デビューを飾っている。(演.中島美嘉

【CM】

花王 ソフィーナ

霧島未來(きりしま みらい、1974年9月22日 - )は日本の歌手、美術家。London Baroque所属のロックバンド「RED」のボーカル。新潟県柏崎市出身(福岡県久留米市生まれ)。

経歴[編集]

家族・生い立ち[編集]

1974年9月22日、映画カメラマンの霧島傑平尾卓亮名義で活動)の4女として福岡県久留米市に生まれる。霧島傑はアメリカ人の父親と日本人の母親のハーフ。従って未來はクォーターという事になる。

2歳以降、両親の離婚の影響で関西地区を転々とする。6歳の時に母方の祖父母の家に落ち着き、新潟県長岡市の市立小学校へ入学することが出来たが、その学校も2週間程で転校。新潟県柏崎市の柏崎市立柏崎小学校、柏崎市立第一中学校へ入学。しかし、この間も、父親の放浪について周り、小学校時代は新潟、福岡、大阪と3回の転校をしており、学校に籍が取れず、入学すら出来ない時期を長く過ごした。

「学校は嫌いではなかったが、教師には嫌われていた、嫌いな勉強のときは、教師の目を盗んで街を散歩していた」と本人の発言が残っている。中学時代はテニス部に所属。予選を勝ち進んだが、上越大会で敗退。フリーペーパーの取材に対し、「目立った選手ではなく、ヘタクソだった」と答えている。

1989年、柏崎市立第一中学校で放火事件が発生する。火災発生時間が深夜であったため、当時3年生の霧島のアリバイを証言できる者がおらず[1]、柏崎警察署は校内で比較的目立って不良視されていた霧島を一方的に容疑者と判断し学校まで取り調べに来たが、後日、別人が犯人と判明し逮捕された [2]

歌手として[編集]

1988年に中学の同級生ら5人とガールズロックバンド「CHARISMA」を結成。結成同時はドラム担当であったが、 程なくベースの岡田幸恵の判断で急遽ヴォーカルに転身させられた。メンバー全員で新潟県立柏崎総合高校に進学し、校内に軽音楽同好会を設立。霧島は初代会長となり、現在も同高校の軽音楽同好会は部活動として認められ活動を続けている。

1991年2月、YAMAHAが主催するティーンズミュージックフェスティバルに出場。受賞は逃したが、その際横浜銀蝿のギタリスト・Johnnyこと浅沼正人に見出され、ベースの岡田と2人だけという事でデビューが決まりかけた。しかし霧島の気が変わり、一旦このスカウトを断った。 同年4月、某ライブハウスのイベント出演中、音楽プロデューサーの嵯峨俊成にスカウトを受け、これが契機となりでベースの岡田と2人でCBS SONYからのデビューが決まる。

1992年7月27日松岡充と結婚。デビュー直後ではあったが引退して家庭に入った。

2006年、新潟県上越市のインディーズロックバンド「CJOUDY」にヴォーカリストとして加入。それ以降「RED」のボーカルとして表舞台に立つ。WARNER MUSICに所属し作曲を行う。

2021年、「RED」再開予定。 現在は楽曲製作中である。 レコード会社はWarner Music London

美術家として[編集]

2019年、パラリンアート世界大会にて、抽象画で審査員特別賞を受賞。 霧島の障害は、閃輝暗点、耳管解放症、難聴、PTSD、ADHD、サヴァン症候群であり、障害者手帳[3]の2級を所持している。

人物[編集]

血液型はA型。162センチ47キロ(いつのデータか不明)。

1995年、新潟に帰郷し、2000年に一女、2004年に一男の母となる。長女はフォトグラファーで日本ネイリスト協会所属ネイリスト。近年活動を開始したため特筆すべき実績はほとんどない(2021年5月現在)。長男はサッカーを得意分野としている。 甥はアルビレックス新潟ジュニアの選抜選手として活躍していた大竹保。また父方の親戚に俳優の安藤政信がいる。

アーティストとしてリスペクトしているのは、映像作家の尾形竜太。尾形の作品が無ければ美術を志す事は無かったと断言している。 霧島が手紙を送った際、尾形から返事を貰ってからFacebookやTwitterで交流している。

友人関係は、中学時代のわずかな同級生とバンドのメンバーとしか交流が無い。 活動休止中のロックバンド「THE☆裏ワザ」のヴォーカル中野隆司とは友人であり、霧島の誕生日に開催された長岡市の音楽イベントに中野も快く駆けつけた。

その他[編集]

「骨髄バンク命のあさがおにいがた」の音楽支援にCLOUDYが事務所を挙げて参加。この際、読売新聞記者が(霧島の)長女と松岡充の関係について質問したのに対して「何しにきてるんですか?」と応答した。骨髄バンクに関する質疑には全て応答しているが、家族に関しての質疑はノーコメントを貫いている。

骨髄バンクの支援活動中に、白血病闘病中の音楽仲間を亡くした。霧島は彼女を「姉さん」と呼んで慕っていた。さらに数年後、親しくしていた闘病中の音楽仲間の女性もまた白血病で亡くした。 それ以降、ゲスト出演も含めて骨髄バンク関連のライブ公演に一切出演していない。反福祉派になったのではないかというインタビューに対して、「少し放っておいてほしい」とコメントした。

出典・脚注[編集]

  1. 家で一人で睡眠中であったため
  2. 母子家庭でスナック勤めの母という家庭環境もマイナス要因
  3. 種類不明

関連リンク[編集]