野田之一

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野田 之一(のだ ゆきかず、昭和7年(1932年) - 平成31年(2019年1月25日)は、四日市ぜんそく公害訴訟における最後の元原告である。親族に妹がいる。

生涯[編集]

三重県四日市市出身。四日市市の臨海部に形成された石油コンビナートに隣接する塩浜地区漁業を営んでいたが、1960年代に大気汚染が酷くなって重度の喘息を発症する。昭和42年(1967年)に患者8名と共にコンビナート企業を相手にして損害賠償を求めて提訴し、昭和47年(1972年)に出された一審判決で被告企業の共同責任が認められて全面的に勝訴する。だが、その後も喘息の治療を続けながら漁師を続け、語り部活動を通じて後進の小学生中学生らに公害の悲惨さや環境保護を説いたという。

平成31年(2019年)1月25日午後、気管支喘息のため、三重県四日市市の高齢者住宅で死去した。87歳没。