趙温

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趙 温(ちょう おん、生没年不詳)は、中国後漢末期の政治家子柔(しじゅう)[1]

生涯[編集]

後漢最後の皇帝である献帝に仕えた司徒で、李傕が献帝を黄白城に移そうとした際、李傕に対して非難の手紙を出したので怒りを買って殺されかけた[1]。しかし李傕の従弟・李応がかつて上司だった趙温を救おうと李傕を数日にわたり諫めたため、許されたという[2]

脚注[編集]

  1. a b 中国の思想刊行委員会『三国志全人名事典』徳間書店、1994年、270頁
  2. 中国の思想刊行委員会『三国志全人名事典』徳間書店、1994年、356頁

参考文献[編集]