貞享二年覚書

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貞享二年覚書(じょうきょうにねんおぼえがき)とは、志賀氏に関する史料である。

概要[編集]

著者・成立年代[編集]

著者は不明。成立は「貞享二年乙丑九月三日」とあるため、貞享2年(1685年)9月3日ということになる。

ただ、内容が天正年間における志賀氏の戦争についての覚書である。つまり100年以上前の戦争についての覚書ということになるのだが、当時の人がここまで存命して覚書を残した、というのは少し考えにくいので、体験者ではなく、その体験者から聞いた人物か、その子孫による覚書ではないかと推定される。

内容[編集]

豊後国戦国大名大友氏の重臣である志賀家の天正8年(1580年)、天正15年(1587年)の2度にわたる合戦についての覚書である。2か条から成り立っている。

第1条は天正8年(1580年)10月に志賀氏と阿蘇氏が戦ったことが書かれている。

第2条は天正15年(1587年)の島津氏豊薩合戦における事情である。こちらも島津方についた阿蘇氏と戦ったとしている。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]