言葉
はじめに言葉があり、言葉は神と共にあり、言葉は神であった。
言葉(ことば、英:word)とは、意思の疎通を目的に口から発せられる、意味を付与された音声。「言葉」を英語に直訳するなら「オーラル・ランゲージ」となるが、表情や仕草なども含めて日本語では言葉という。台詞は「書き言葉」であるが、科白は「科(しな)」と「白(=声)」を合わせた「話し言葉」である。
名称[編集]
「言」は言う。「葉」は枝葉の比喩である。勇敢なる水兵 (軍歌)の歌詞にも現れている。
「言葉」と「論理」は「ロゴス」「ロジック」と謂われるように、かつては区別されなかった。
概要[編集]
話し言葉は音として耳から脳に入力されるが、文字は映像として目から脳に入力されるという違いがある。
まず、「音声言語」としての言葉ができた後、その「内容」を記録しておくために文字が生まれたと考えられている。「あ」はアルファベットでは牛の象形文字であり、ヒエログリフでは「パン」であった。つまり「象形文字(表意文字) ⇒ 表音文字」という関係にある。
「話し言葉」と「書き言葉」では、「話しことば ⇒ 書き言葉」という流れだけでなく、書きことばから話ことばに逆輸入された点もある。「その辺」は「そのあたり」から「その辺」を経て「そのへん」となったらしい。
言語中枢[編集]
脳の言語中枢で言葉は言語として意味に基づき処理される。左脳にあるとされるが、左脳を損傷して言葉が出なくなった場合でも、右脳で歌を歌うようにして訓練する事で、再度言葉を話す事が可能になるケースが存在する。
はじめに言葉があり[編集]
ヨハネ伝(ヨハネによる福音書)の冒頭の言は「原初(はじめ)にロゴスありき。ロゴスはそのはじめより神とともにあった。ロゴスは神であった」とも訳せる。ナザレのイエスは「光をもたらした者」とされるが、堕天使であるルシファーも「光を運ぶ者」なので、「敬虔なキリスト教徒」はそのあたりに関して説明責任があると思う。[1]。
脚注[編集]
- ↑ だいたい「悪魔」と言ってもサタンとデビルとデモン(デーモン)とダイモンがいて、「ダイモンは異教の神だから悪魔である」みたいな粗雑なロジックで片付けられたら「キリスト教の面汚し」である。