論理

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いわゆる「日常的に用いられている『論理』」以外にも論理は複数あり、「アリストテレス的論理」「古典論理」「述語論理」「高階述語論理」「様相論理」「直観論理」などがあり、さらに「静的論理」「動的論理」の区別があり、「ブール代数」「ファジイ論理」などがある。

概要[編集]

なぜこのように種類が多いかというと、基本的には「論理」は「説明」における技法であるため「公準」「公理」「定理」と「導出規則」と「実体」からなるが、日常的な言語表現は論理式によって表現しようと思うとかなり複雑になるため、文字化されなければ「いくらでも言い訳できる」という「言い逃れ」の技術ともいえる。
古代ギリシャでは、ソフィストといって「職業的な言い逃れの技術者」もいた。現代では一連のオウム真理教による事件があったころに、上祐史浩が「ああ言えば上祐」と云われた。
とはいえ、「論(あげつらう)う」という言葉は日本では嫌われ、北九州では「理をいうな!」という言葉もしばしば使われる。「そういう意味で言ってるんじゃない」「難しいことはわからない」といった言い逃れ(言い繕い)は論争においてはしばしば用いられ、それを「学」として論じようととして整理されつつあって「論理学」が発達した。
できればコンピューターによって処理できれば望ましいが、「コンピューターは人間を理解していない」「コンピュータには人の情がわからない」といって感情論に持ちこんで相手を怒らせて、「ハイ終了」と言い放って論争から逃げる輩も少なからずいる。

名辞論理[編集]

「アリストテレス的論理」とも。「『名辞』によって指示されたものは、すべて同一の実体を指す」という論理である。
「カラスは黒い」「その鳥は黒くない」「よって、その鳥はカラスではない」といった論理。とはいえアルビノのカラスもいる(昔、上野動物園で飼われていた)ので、例外が出てくると脆い。「哺乳類は胎生である」と定義したらカモノハシやハリモグラが出てきたようなものである。

古典論理[編集]

「正」か「偽」かの論理である。すなわち、「A≠¬A」の話であリ、数学の基礎ともなっているが、ゲーデルの不完全性定理が証明されて以来、正しいとは断じられなくなった。

述語論理[編集]

与えられた前提から、それが正しいか間違っているかを証明するための論理。この段階になると「個物」「個体」「インディヴィジュアル」とかいったものとは別枠であると考えられるようになった。「もし~ならば、それは正しい」という論理。『不思議の国のアリス』の著作で知られる数学者チャールズ・ラトウィッチ・ドジスン(ルイス・キャロル)も、「なんか嘘臭い」と批判している。「ドラゴンは狡猾ではない」「スコットランド人は狡猾である」「ゆえに、ドラゴンは非-スコットランド人である」は正しいと思うが、「ドラゴンは存在しないだろう」と言われても困る。

高階述語論理[編集]

述語論理の上で「もしこの言明が正しいのならば、そこから導出されるこの論理式も正しい」という論理。こうした論理を積み重ねてゆくと、素人には理解しづらくなってきてゴマカシの余地が広がる。「DNA鑑定の結果、これこれのことが謂える」と言っておいて「あの証拠は疑わしいから、再鑑定させろ」と問い詰めると、「試料は全部使っちゃったので残ってましぇ~ん(笑)」とかいって冤罪事件になった例もある。

様相論理[編集]

たとえば、「知っている」は、「正しい」かつ「信じている」という言明である。「知っている」と言明したからといって、「正しい」ことが証明可能であるわけでもない。
「~は必然的である」ことを意味する必然性演算子□と、「~は可能である」ことを意味する可能性演算子◇を導入して整理したものが一般的である。「可能でないものは必然ではない」(¬◇⇒¬□)ではあり、「可能であるならば必然であるかもしれない」(◇⇒◇□)とかいった言明も扱えるため、実用性が高い。 「来世」とか「往生」とか「極楽浄土」とか言っている連中は、ほぼ怪しい宗教であり、「現世利益」を説く宗教のほうがまだしも論理的である。「あんたは死んだことがあるのかよ」と言いたくはなる。
その点、修験道は来世を説かないだけでもマシであり、QOL重視ではある。
多値論理やファジイ論理もここに含まれるかもしれない。

直観論理[編集]

「二重否定の除去」を認めない論理。「A ≠ ¬¬A」「私は間違っていない」「だから私は正しい」という言い逃れを封じる論理である。「私は間違っていない」「ゆえに私の判断は正しい」「私の判断に従わない者は間違っている」とかいった独裁者の論理は、古典論理の範囲内においては「間違っている」とは判断しえない。
そうしたことから、「弱い」論理でもあり、「弾圧されがちな」論理でもある。 困ったことに「定理Aが正しい」ならば「定理Bが正しい」が謂え、その逆も正しいのことも謂える(つまり同値である。あるいはで表すことが多い)のだが、「どっちも単独では証明できないことが証明されている」というややこしい話(連続体予想と選択公理の例がある)があり、ややこしい。

ブール代数[編集]

動的論理のひとつ。フリップフロップなどがある。電子回路においては実際に使われている。
演算子としては AND・OR・NAND・NOT など各種あるが、電子回路として実装するには XOR 回路があればすべて実装できるという利点がある。

ファジイ論理[編集]

動的論理のひとつで、制禦において活用されている。「制禦用のボードを二・三枚引っこ抜いても大丈夫」というロバスト性がある。
ただし、「ファジイ」には「(毛が生えて)フワフワしている」「ピントがボケている」という意味があるので、「カメラにはネーミングとしてはいかがなものか」という意見もあった。

困った論理[編集]

論理は、

  • 前提がある
  • 導出規則がある
  • 言明が与えられる
  • 結論が正しいことが証明できるかどうか

という話である。このとき、「前提に矛盾がある」「導出規則に問題がある」場合に、「好きなように結論がいじれてしまう」ということがあると、論理としての役に立たないのである。
こうなると、「いちゃもんをつけた方の勝ち」「無理が通れば道理が引っこむ」という話になって「最後は喧嘩(戦争)で片をつける」しかなくなる。
そんなわけで、困った人が困った論理を振りかざすもんだから、地上から戦争がなくならないのではないか?

参考文献[編集]

脚注[編集]