西郷南洲流謫跡

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西郷南洲流謫跡(さいごうなんしゅうるたくあと)とは、鹿児島県大島郡龍郷町龍郷166-1に存在する鹿児島県指定の史跡である。

概要[編集]

安政の大獄井伊直弼から追われる身となった西郷隆盛は、安政6年(1859年)1月に島津斉興の命令で島に流罪にされた。この史跡はそれから文久2年(1862年)1月までの3年余りの生活を送った場所であり、当時の建物が復元されて西郷の遺品などが保存されている。庭の桜は西郷自身の手植えと伝えられており、その傍らに明治31年(1898年)に大島島司だった笹森儀助らによって建てられた記念碑がある。碑文は勝海舟の筆跡といわれている。

西郷はここで生活する間に、郷士格の竜家の娘・西郷愛加那を妻に迎え、後に京都市長となる長男の西郷菊次郎公爵大山巌の実弟である精之助の夫人となる菊子の1男1女をもうけている。また、村の子供たちに手習いを教え、青年らに聖賢の道を講じるなど、島民の教育に尽力したという。

アクセス[編集]

  • 名瀬からバス秋名方面行きに乗ること。