蠣崎 基広(かきざき もとひろ、文亀元年(1501年)- 天文16年(1548年))は、戦国時代の武将。蠣崎氏の家臣。
文亀元年(1501年)に蠣崎高広の子として生まれる。
天文14年(1545年)、蠣崎義広の死去後に従兄弟にあたる蠣崎季広が家督を継ぐことに不満を持ち、謀反を起こした。しかし、天文16年(1548年)、長門広益に討たれた。