蘆名氏方

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蘆名 氏方(あしな うじかた、永正13年(1516年) - 永禄4年(1561年3月)は、戦国時代武将会津蘆名氏の一族。父は蘆名氏の第15代当主・蘆名盛舜。異母弟に第16代当主・蘆名盛氏がいる。幼名は吉祥丸。受領名は山城守。

生涯[編集]

盛氏より5歳上の異母兄であるが、生母が川野の前という白拍子で庶子だったため、後継者に指名されず、家臣富田義実の下に預けられて養育され、成長してから山城守氏方と称した。

永禄4年(1561年)2月に盛氏が長沼実国を攻めていた際、その不在の隙を突いて富田義実・義祐父子が氏方を担いで盛氏に対して反乱を起こした。これを知った盛氏は長沼実国を攻め降すとすぐに黒川に引き返して反乱の鎮圧に当たり、富田義実を討ち、義祐を斬った。氏方は謀反に加担した松井大学松山和泉三橋左衛門常世次郎左衛門ら家臣78名と共に自殺し、反乱は短期間で鎮圧された。享年46。あるいは47とも。

氏方には妾との間に息子が1人あり、盛道山高巖寺僧侶とすることで盛氏は助命している。