義本王の墓(ぎほんおうのはか)とは、沖縄県国頭郡国頭村辺戸に存在する墓である。
源為朝が保元の乱の後、琉球に逃れて生まれた子供は舜天王となり、その孫が義本王で舜天王統では3代目の国王とされている。1249年に即位するが、即位の翌年から琉球で飢饉や疫病が相次いだため、自らは不徳であることを恥じて1259年に退位し、王位を家臣らが推す摂政の英祖に譲ったという。ただしこれらは江戸時代に成立した『中山世鑑』の記録で、そもそも為朝が沖縄に渡ったことから眉唾とされている。
ただ、現在に義本王の墓と伝わる物は残されている。
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