結城無二三

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結城 無二三(ゆうき むにぞう、弘化2年旧暦4月17日1845年5月22日) - 明治45年(1912年5月17日(66歳没))は、京都見廻組および新選組に在籍していたとされる幕末の人物。ただし、客観的には新選組に在籍していた事実はなかったと考えられている。

また、生前新選組在籍を自称していた事実もなく、あくまで息子である結城礼一郎が著した伝記である『旧幕新撰組の結城無二三 : お前達のおぢい様』の中で新選組と関わりが深かったことを強調されているのみである。人物についてはこれが唯一の史料であるが、後半生をプロテスタント牧師として過ごしたこともあり実在は確定している。

なお、著作として伝記が出版された大正15年(1924年)時点では新選組の世間一般の評価は『維新を遅らせ皇室の忠臣を殺戮しまくった凶悪無比な殺人鬼集団[1]』であり、講談等で人格者として描かれた近藤勇以外の新選組隊士についてはほとんど知名度がなかった時代に書かれた著書であるため、新選組について語っている内容は新選組自慢ではないと考えられ、内容も足利尊氏の血筋を引き息子である自分のためにさまざまな努力をした祖父を称えるものとなっている。

脚注[編集]

  1. ちなみに幕末時点でも本拠地であった京都ですら長州藩士ほか倒幕派の方が人気が高く、商人に暴力的に強請りたかりを繰り返すほか、地域の信仰を集める寺社を占拠し血生臭くしたり、殺人・破壊行為を繰り返す乱暴者の集団でしかなかった新選組はヤクザ・チンピラと同一視され全く人気がなかった。

参考文献[編集]