稲葉氏 (織田信長側室)
ナビゲーションに移動
検索に移動
稲葉氏(いなばし、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。織田信長の側室。
略歴[編集]
父親、名前などに関しては不明[1]。ただ、西美濃三人衆の1人である稲葉一鉄の縁者では無いかとする説が存在する。
織田信長の側室となった時期は不明だが、信長との間に6男の織田信秀を産んでいる。信秀の生年は元亀2年(1571年)頃と言われるため、その頃までに側室になったものと思われる[1]。
本能寺の変で信長が死去した後は、天下人となった豊臣秀吉の庇護を受けて近江国に所領を与えられていた息子の信秀と共にそこに住んでいたという[1]。
『フロイス日本史』には、息子の信秀がキリシタンになったことを知って、パウロという信秀の家臣が勧誘したのだと考えて処刑するように信秀に求めるも拒否され、さらに息子に棄教するように勧めたがまたも拒否され、逆に司教の説教を聞かされて息子の洗礼に納得して帰国したという。
没年や墓所に関しては不明である。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣出版、1999年。 。