福岡・中間市建設会社社長銃撃事件

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福岡・中間市建設会社社長銃撃事件(ふくおか なかましけんせつがいしゃしゃちょうじゅうげきじけん)は、2012年1月に起きた建設会社社長に対する銃撃事件。

概要[編集]

2012年1月17日午前5時30分頃、福岡県中間市長津2丁目にある黒瀬建設中間支店前の路上で黒瀬建設社長Aが銃撃される。Aの母親が通報して、一命は取り留めたものの、腹や腕に銃撃されて、重傷(全治約3カ月)を負った。事件後にAは社長を退任する。証言では、銃撃したのは40歳頃の男性で黒っぽい服とニット帽にマスク姿で徒歩で逃走したという。

黒瀬建設は大手ゼネコンから請け負う1次下請けであり、Aは建設工事を地元の2次下請け業者に割り振る名義人を務めるなど、地元建設業界に強い影響力があった。Aは、北九州市の暴力追放市民大会に参加するなど暴力団追放運動に積極的であり、黒瀬建設社員も中間市の暴力追放推進会議に出席している。また、2005年8月にAの自宅に銃弾2発を発砲されたことがあったが、暴力団対策身辺警戒隊の保護対象とはなっていなかった。こうしたことから、警察は暴力団が本事件に関与した疑いで捜査。事件2日後に、殺人未遂容疑で福岡県北九州市小倉北区にある工藤会本部など数十か所を家宅捜索。事件に使われたとみられる薬莢がHとFの関係先で見つかったとして、HとFを捜査。

2012年12月6日、福岡県警は殺人未遂銃刀法違反の容疑で、暴力団工藤会系組幹部の男HとFを逮捕した[1]。2011年から2012年にかけて福岡県では発砲事件が22件発生しており、本事件は2件目の逮捕だった(一般市民が銃撃された事件での逮捕者は初)。FとHは、逮捕容疑を否認。2012年12月27日、検察は殺人未遂罪と銃刀法違反容疑で起訴した。2010年4月の福岡県暴力団排除条例施行後の民間人銃撃事件で初めて起訴された案件となる。

裁判経過[編集]

2013年5月、福岡地検小倉支部は暴力団が裁判員に危害を加え恐れがあるとして、裁判員法3条に基づいて裁判員裁判の対象としないように除外請求。裁判所で一般市民への報復が目的と認定された、工藤会系組員による1987年以降の18事件の資料(殺人や放火など)を提出した。2013年9月9日、福岡地裁小倉支部平島正道裁判長)は、裁判員裁判の対象から除外することを決定[2]。裁判員裁判の対象からの除外の決定は、2010年12月に同地裁小倉支部が出して以来、全国2例目。弁護側は、検察側の主張は抽象的で工藤会の構成員が裁判員らに危害を加えた実例はないとして、HとFが容疑を一貫して否認していることもあり、裁判員の良識にゆだねるべきとして除外に反対していた。判決では、工藤会を「市民や公権力に敵対し、法的手続きを無視してでも市民に対する殺傷事件やけん銃発砲事件等の凶悪事件を繰り返している」と指摘し、裁判員に危険が及ぶ可能性があるとした。

2013年11月15日、福岡地裁小倉支部(大泉一夫裁判長)はFとHの両被告に無罪判決を言い渡した[3]。検察側は、Fを銃撃の実行犯として無期懲役、Hを共犯として懲役20年を求刑していたが、「Fが実行犯である可能性は相当高いが、犯人とするには合理的疑いが残る」とさした。検察側は事件発生の26時間後にF宅付近のごみ袋に入っていた銃弾の薬きょう5個、射撃痕が残る衣類、被告の指紋付き粘着テープを証拠として提出していた。しかし、判決で「Fの拳銃発射は推認できるが、時期や弾丸の種類は分からない。事件に使われた弾丸は2発だから、薬きょう5個のうち少なくとも4個は別の場面で使用された。残り4個も同様に別に使われた可能性がある」された[4]

2015年6月29日、福岡高裁(福崎伸一郎裁判長)は、検察側の控訴を棄却して無罪判決を支持[5]。一審判決と同様に事件の翌朝に出されたごみ袋から拳銃の薬きょう5個や発砲時の痕跡が残った衣服が押収されたことから、被告が実行犯である可能性は相当に高いとしたが、押収された薬きょうや衣服が犯行で使われたことを示す決定的証拠はないとした。

関連事件[編集]

  • 福岡県北九州市建設会社会長射殺事件 - 2010年11月、北九州市小倉北区で名義人を務めた建設会社会長が自宅前で銃殺される事件が発生している。
  • 2012年4月、北九州市の暴力団捜査を担当していた福岡県警OBが銃撃されて重傷を負っている。

脚注[編集]