磯辺 遁󠄀斎(いそべ とんさい、生没年不詳)は、戦国時代の武将。
磯部小平次の一族とされ、天正10年(1582年)1月11日に吉田兼和が村井貞成を来訪した時に奏者を務めた。同年6月2日の本能寺の変の後、織田信雄の命令で京都奉行となった前田玄以の下代を務めた[1]。