石 鑑(せき かん、? - 350年[1])は、五胡十六国時代の後趙の第5代皇帝(在位:349年 - 350年)[1]。
父は第3代皇帝の太祖で石鑑は庶子である[1]。349年に石閔が兄弟の石遵を殺害すると、その後釜として擁立された[1]。しかし実権は石閔が掌握しており、石鑑は石閔を大将軍に任命せざるをえなかった[1]。やがて石閔を恐れて殺害しようとしたが、逆に殺された[1]。
襄国に駐屯していて難を逃れた兄弟の石祗が跡を継いだ。
- ↑ a b c d e f 河出書房新社『中国歴代皇帝人物事典』、P87
参考文献[編集]