石 祗(せき き、? - 351年[1])は、五胡十六国時代の後趙の第7代皇帝(在位:350年 - 351年)[1]。
父は第3代皇帝の太祖で庶子[1]。石閔が反乱を起こしていた際には襄国に駐屯していたため難を逃れ、石閔により石氏一族の大半が殺害されると跡を継いで即位する[1]。そして石閔から冉閔と改姓し、冉魏を建国した冉閔と戦うが、部下が裏切ったため一族もろとも殺害され、後趙は完全に滅亡した[1]。