石 遵(せき じゅん、? - 349年[1])は、五胡十六国時代の後趙の第5代皇帝(在位:349年)[1]。
父は第3代皇帝の太祖[1]。父が崩御すると跡を継いだ弟の石世を河内から軍を率いて攻撃し、皇位を奪って殺害して即位した[1]。しかし兄弟間の争いが絶えず、それにより石閔に殺害された[1]。在位期間は183日[1]、すなわち半年であった。
石閔により兄弟の石鑑が新たに擁立された。