石田精一
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石田 精一(いしだ せいいち、1906年[1] -2001年)は、社会運動家。元・日本共産党中央委員。
略歴[編集]
山口高等商業学校から九州帝国大学に進学。プロレタリア科学研究所代表、産業労働調査所の活動に参加[2]。1932年時点では関東消費組合連盟(関消連)で活動し、同年の「米よこせ運動」の創意者であったとされる[3]。1933年『プロレタリア科学』編纂中に宮本顕治の手で日本共産党に入党[4]。1934年、1937年に検挙[2]。転向後[4]、満鉄北支経済調査所に勤務するが、1942年9月第一次満鉄調査部事件に連座して検挙された[2]。中国革命後、在華日僑連合会会長。そのまま中国に残り、北京機関の活動に参加。伊藤律によれば、自由日本放送の作業班に所属したが[5]、主に国際会議の通訳を務めたとされる[4]。自由日本放送で働いていた国谷哲資によれば、北京機関の中央幹部として自由日本放送の編集委員を務めたとされる[6]。1961年7月の第8回党大会で中央委員となり、『赤旗』編集局長を務めた。中央委員退任後は名誉職の顧問となった[4]。1997年9月の第21回党大会で顧問に再認された[7]。この大会で規約が改正され、名誉職が「名誉役員」に一本化された(資格要件は中央委員会に入って20年以上)。2000年11月の第22回党大会では名誉役員に承認されなかった[8]。
著書[編集]
- 『『反デューリング論』の哲学研究』 新日本出版社、1989年
訳書[編集]
- 『現代國防經済論』 訳編、エルンスト・ホッホ著、育生社(現代國防研究叢書)、1938年
- 『「実践論」 解説』 李琪著、駿台社、1959年
- 『「矛盾論」解説』 李琪著、和田真一共訳、駿台社、1960年
- 『空想から科学へ』 エンゲルス著、新日本出版社(新日本文庫)、1975年/新日本出版社(科学的社会主義の古典選書)、1999年
分担執筆[編集]
- 『公明党の日本共産党批判に反論する』 日本共産党中央委員会出版局、発売:日本共産党中央委員会機関紙経営局、1973年
- 『新日和見主義批判』 日本共産党中央委員会出版局、発売:日本共産党中央委員会機関紙経営局、1973年
出典[編集]
- ↑ 石田, 精一, 1906- Web NDL Authorities (国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)
- ↑ a b c 伊藤律『伊藤律回想録』文藝春秋、1993年、67頁
- ↑ 寺出道雄「戦前期日本共産党に関する聞き取り稿本」『三田学会雑誌』103巻3号、2010年10月
- ↑ a b c d 渡部富哉監修、伊藤律書簡集刊行委員会編『生還者の証言――伊藤律書簡集』五月書房、1999年、252-253頁
- ↑ 伊藤律『伊藤律回想録』文藝春秋、1993年、31頁
- ↑ 国谷哲資「北京追憶――若者が体験した戦後日中関係秘史――」『アジア社会文化研究』20号、2019年3月
- ↑ 名誉役員と顧問を承認 日本共産党中央委員会(1997年9月26日)
- ↑ 第22回党大会で承認された名誉役員 日本共産党中央委員会(2000年11月24日)