石田光男 (労働経済学者)
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石田 光男(いしだみつお、1949年12月23日 - )は労働経済学者。博士(経済学)(東京大学)。 修士(経済学)(東北大学)。同志社大学社会学部教授(産業関係論)教授。研究テーマは「ホワイトカラーの仕事はどのように管理したら良いのか」。主要担当科目は「産業関係論(1)」「同(2)」、「産業関係実習Ⅰ・Ⅱ」、「働くということ」[1]。
概要[編集]
1949年12月23日、現在の長野県西筑摩郡木曽福島町(現在の木曽郡木曽町)生まれ[2]。1967年、長野県松本深志高等学校を卒業し、1972年、東京大学経済学部経済学科を卒業。1975年、東北大学経済学研究科(前期博士課程)修了、1978年、東京大学経済学研究科博士課程単位取得満期退学[3]。
1978年、同志社大学文学部助手(着任)、社会政策を担当した。1990年、同志社大学文学部教授、1991年、中條毅教授の退職後は産業関係論を担当した。2000年、同志社大学総合政策科学研究科教授、2003年、同志社大学文学部教授、2005年、同志社大学社会学部教授。元社会学部長。同志社大学文学部社会学科産業関係学専攻の教員時にイギリス留学。
人物[編集]
- 中村圭介は石田光男を「どこか気になる研究者」とする[4]。論証なくされる断定的な主張、読み手の知的好奇心を満たす詳細な調査報告が魅力であるという。
- 同志社のゼミの議論は活発で、出欠を取らなくても全員が出席したという。その後の10数年は、苦難の連続で90年代以降はゼミで議論が発生しなくなったという[1]。
博士論文[編集]
- 博士論文『賃金の社会科学 : 日本とイギリス』
- 学位授与大学:東京大学
- 取得学位:博士 (経済学)
- 学位授与番号:乙第11091号
- 学位授与年月日:1993年2月20日
目次
- 第1章 賃金の国際比較―方法的準備―
- 1 方法上の問題
- 2 発見しなくてはならない事実
- 3 なぜ賃金表なのか
- 4 賃金の類型
- 第2章 賃金体系と労使関係―日本の条件―
- 1 はじめに
- 2 日経連の賃金体系政策とその思想)
- 3 総評の賃金体系政策とその思想
- 4 まとめにかえて
- 【補足資料】年表・ナショナルセンターの賃金体系政策
- 第3章 日本の賃金・人事制度の現地点
- 1“能力主義管理”登場の意義―昭和40年代の到達点―
- 2“能力主義管理”の実務―昭和50年代の状況―
- 3“能力主義管理”と職務調査技法―日本的人事制度の到達点―
- 第4章 イギリス点描
- 1 イギリス便り
- 2 労働における西洋と東洋―私の観たイギリス―
- 第5章 イギリスの賃金制度
- 1 はじめに
- 2 問題の所在
- 3 1980年代の状況
- 4 賃金制度の伝統
- 5 新しい試み
- 第6章 変化と労使関係制度―日英比較の観点から―
- 1 労働時間短縮の労使交渉の構造
- 2 技術革新と労使関係制度
- 第7章 イギリスの中の日本―進出企業の労使関係―
- 1 進出企業の労使関係の概況
- 2 問題の所在
- 3 進出企業の労使関係の質
- 4 他社へのインパクト
- 第8章 日本の労使関係と社会―過去・現在・未―
- 1 批判と反批判
- 2 日本の労働組合の町能性
- 索引
受賞[編集]
- 1998年、社会政策学会奨励賞(対象作品『日本のリーン生産方式第1章』)[5]
- 2003年、社会政策学会学術賞(対象作品『仕事の社会科学』ミネルヴァ書房)
- 2009年、平成21年度労働関係図書優秀賞(対象作品『日本自動車企業の仕事・管理・労使関係』)