石光真人

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石光 真人(いしみつ まひと、1904年明治37年)7月26日 - 1975年昭和50年)8月22日)は、日本の新聞人[1]

概要[編集]

東京生まれ。父は陸軍軍人の石光真清[2]。元厚相の橋本龍伍(82、83代首相の橋本龍太郎の父)は従弟にあたる。

1930年(昭和5年)早稲田大学文学部哲学科卒業[3]。1931年(昭和6年)東京日日新聞社(現・毎日新聞社)編集局に入社したが、1938年(昭和13年)芝浦工作機械(現・東芝機械)に転社、1942年(昭和17年)日本新聞会考査課課長、1945年(昭和20年)日本新聞連盟用紙課課長となった。1946年(昭和21年)日本新聞協会に入社、用紙課課長、総務部部長、業務部部長を経て、1960年(昭和35年)日本ABC協会事務局長、1963年(昭和38年)同専務理事となり[1]、日本の新聞・雑誌の部数公査制度を確立させた[1][4][5]。1975年(昭和50年)日本ABC協会顧問となった[1]

1958年(昭和33年)に父・石光真清の自伝的手記をまとめた『城下の人』『曠野の花』を刊行、毎日出版文化賞を受賞した[1]。『城下の人』四部作のほか、1971年(昭和46年)には陸軍軍人・柴五郎の少年期の自伝的手記をまとめた『ある明治人の記録――会津人柴五郎の遺書』(中公新書)を刊行した。

著書[編集]

編著[編集]

城下の人ほか四部作(石光真清著)
  • 『諜報記――石光眞清手記』(育英書院、1942年)
  • 『城下の人』(二松堂、1943年)
  • 『續 諜報記――シベリヤ篇』(目黒書店、1945年)
  • 『城下の人――石光真清の手記』(龍星閣、1958年)
  • 『曠野の花――石光真清の手記』(龍星閣、1958年)
  • 『望郷の歌――石光真清の手記』(龍星閣、1958年)
  • 『誰のために――石光真清の手記』(龍星閣、1958年)
  • 『城下の人――石光真清の手記 一』(中央公論社[中公文庫]、1978年)
  • 『曠野の花――石光真清の手記 二』(中央公論社[中公文庫]、1978年)
  • 『望郷の歌――石光真清の手記 三』(中央公論社[中公文庫]、1978年)
  • 『誰のために――石光真清の手記 四』(中央公論社[中公文庫]、1978年)
  • 『石光真清の手記』(中央公論社、1988年)
  • 『城下の人――新編・石光真清の手記(一)西南戦争・日清戦争』(中央公論新社[中公文庫]、2017年)
  • 『曠野の花――新編・石光真清の手記(二)義和団事件』(中央公論新社[中公文庫]、2017年)
  • 『望郷の歌 ――新編・石光真清の手記(三)日露戦争』(中央公論新社[中公文庫]、2018年)
  • 『誰のために――新編・石光真清の手記(四)ロシア革命』(中央公論新社[中公文庫]、2018年)
ある明治人の記録(柴五郎著)
  • 『ある明治人の記録――会津人柴五郎の遺書』(中央公論社[中公新書]、1971年、改版2017年)

分担執筆[編集]

  • 日本新聞百年史刊行会編『日本新聞百年史』(日本新聞百年史刊行会、1960年)
  • 大河内一男大宅壮一監修『近代日本を創った百人 上』(毎日新聞社、1965年)
  • 池島信平編『歴史よもやま話 日本篇 下』(文藝春秋、1966年)
  • 西部謙治『広告外史』(旭東通信社、1967年)

出典[編集]

  1. a b c d e 春原昭彦「石光真人」平凡社編『日本人名大事典 現代』平凡社、1979年、60頁
  2. 平凡社教育産業センター編『現代人名情報事典』平凡社、1987年、82頁
  3. 『ある明治人の記録』著者紹介
  4. 石光真人 デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  5. 日外アソシエーツ編『20世紀日本人名事典 あ-せ』日外アソシエーツ、2004年、208-209頁