畠山夫人 (信長養女)
ナビゲーションに移動
検索に移動
畠山夫人(はたけやまふじん、生没年不詳)とは、戦国時代の女性である。実父は斎藤道三。実母は織田信秀の娘で織田信長の姉。畠山昭高の正室。
略歴[編集]
彼女につては「為織田信長以斎藤山城守息女養子。嫁昭高」とある[1]。また「信長の姪婿」ともある[2]。つまり、斎藤道三の娘で信長の養女となり、畠山昭高に嫁いだとある。しかも信長の姪婿とあるため、斎藤道三と織田信秀が和睦した際に信秀の娘が道三に嫁いでいることから、その娘から生まれた可能性が非常に高い。
畠山昭高は元亀2年(1571年)、信長に叛旗を翻して河内国高屋城に籠城したが、すぐに織田軍に攻められて和議を請い、この際に信長の養女と婚姻したという。天正元年(1573年)6月25日、昭高は家臣の遊佐信教の謀反により、河内で自害を余儀なくされた。この際に昭高の死を聞いた信長はその死を悼み、信教に対して復讐の兵を送り込む一方、夫人を保護して織田氏の一族として大切に扱われ、一時は女性ながら高屋城主に推戴までしたといわれる。その後の彼女については不明である。