畠山嘉克
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畠山 嘉克(はたけやま よしかつ、1942年[† 1] - 2003年)は、日本の新左翼活動家。ML同盟(日本マルクス・レーニン主義者同盟)の指導者、別名・林麟次郎[1]。後に会社経営者となった。
経歴・人物[編集]
東京生まれ[2]。東海大学卒業[1]。1964年、社学同ML派を結成[3]。毛沢東思想をML派に導入し、東京学生会館闘争や横浜国大闘争を指導した[1]。1967年の善隣学生会館事件等で日本共産党と対立。華僑学生と日中青年学生共闘会議を結成し[4]、その議長に就任した[1]。1968年10月、社学同ML派が発展して結成された日本マルクス・レーニン主義者同盟の初代議長に就任した[† 2]。1969年に編著『帝大解体の論理』を刊行。ML同盟は毛沢東思想を掲げたため他党派から「毛林」(マオ・リン派、毛沢東と林彪)と揶揄されることもあった。1970年以降解体し、メンバーは日本労働党や解放委員会(後にレーニン研とマル青同を結成)等に移行していった[5]。
2002年にアクティオ・ネットワークの機関紙『SENKI1071号』(2002年3月25日)に荒岱介の著書の書評を寄稿している。この時点では、会社経営のかたわら、海外支援協会で途上国援助のNGO活動に関わっていた[2]。
2003年に60歳で死去した[6]。死後、『情況』(2003年3月・5月・6月号)に遺稿「ホーリスティック・メディスンと医療の哲学的認識」が3回にわたって掲載された。
著書[編集]
- 『帝大解体の論理――日本革命と全共闘運動』 林麟次郎編著、西日本出版社、1969年