甘露寺澄子

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甘露寺 澄子(かんろじ すみこ、1903年1月20日 - 1937年9月12日)は甘露寺方房の夫人[1][2]。旧姓岩崎(いわさき)。父は岩崎久弥[1][2]。姉は沢田美喜[1][2]

略歴[編集]

1903年1月20日、三菱財閥の3代目総帥・男爵岩崎久弥の次女として東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区)に生まれる[1][2]

後に甘露寺受長の弟・方房に嫁いだ[1][2]

1937年9月12日、両親や兄、姉に先立って34歳で死亡。敬虔なクリスチャンとなった姉・美喜の影響もあり、死に際して洗礼を受けた。

参考文献[編集]

脚注・出典[編集]

  1. a b c d e 『門閥』 273頁。
  2. a b c d e 『閨閥』 403頁。