王 昶(おう ちょう、? - 939年)は、五代十国の閩の第4代君主(在位:935年 - 939年[1])。廟号は康宗(こうそう)と呼ばれる[1]。
第3代君主・太宗の長男[1]。935年、父を殺害して自ら王として即位する[1]。即位前の名は継鵬(けいほう)であったが、即位後に昶と改めた[1]。937年に後晋から冊封を受ける[1]。
しかし父と同じように道士の説を信じて王室内で虐殺を行なったため、叔父の王延羲に背かれて殺され[1]、王位を奪われた。