玉泉一博

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

玉泉 一博(たまいずみ かずひろ、1951年11月9日 - )は、大阪府堺市出身で片男波部屋に所属した元大相撲力士。本名は泉谷 一博。183cm、104kg。最高位は西三段目52枚目(1972年9月場所)。

経歴[編集]

1969年5月初土俵、1973年11月廃業。

横綱千代の富士の最初の対戦相手として名高い(1970年11月場所初日)。千代の富士にプロ初黒星をつけた。ただし、1972年3月場所2日目に2度目の対戦をした時は敗れている[1]

西序二段46枚目だった1971年1月場所13日目、6戦全勝で勝ち進み、この日の対戦相手は西三段目79枚目の重乃湖で三段目の土俵に上がった。この取組で玉泉は重乃湖に空穂づけで投げられ、背中から大きく土俵に落ち[2]、全勝を逃した。

改名[編集]

泉谷→玉泉

通算成績[編集]

通算28場所70勝74敗45休

出典[編集]

  1. 私はかく闘った、千代の富士貢、向坂松彦、日本放送出版協会、1991年、ISBN 978-4140087770
  2. 『大相撲なんでも七傑事典』102頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]