玉ノ井健志
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玉ノ井 健志 (たまのい たけし、1972年2月21日 - 1992年9月24日) は日本中央競馬会 (JRA)に所属していた元騎手である。
概要[編集]
1987年に日本中央競馬会競馬学校に入学。1990年の騎手免許試験に合格してデビューを果たす。3月4日にデビューし、8月11日のアラ系条件戦で初勝利を果たす。91年は障害競走に初騎乗し、障害では92年に初勝利を挙げた。
3年目の1992年は新潟記念でマイネルアーサーを第4コーナーまで逃げ粘らせた騎乗を井崎脩五郎に称賛され、勝利数を27勝まで積み上げるなど成績が上向いていた。9月19日、平地競走の浦安特別でドウカンパートに騎乗する。レース中、馬が故障を発生して転倒・落馬。落馬の際に頭を強く打ち、病院に搬送されるも事故から5日後の9月24日に20歳で死去し、競馬学校卒業生として初の殉死者となってしまった。
事故発生後、後藤浩輝が搬送される玉ノ井の様子を見たところ、玉ノ井の顔と判別できないほどグシャグシャになっていたという。