炅 母(けい ぼ、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。
曹操に仕えていた襄賁校尉の杜松配下の住民で、曹操に対して反乱を起こした[1]。しかし曹操が杜松に変えて派遣した呂虔の謀略により、炅母とその腹心数十人は酒宴に招かれて酔いつぶれた所を殴り殺された[1][2]。