源為朝上陸記念碑
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源為朝上陸記念碑(みなもとのためともじょうりくきねんひ)とは、沖縄県国頭郡今帰仁村運天に存在する記念碑である。
概要[編集]
運天港を見下ろす丘の上にある記念碑である。源為朝は源為義の8男で、源義朝の弟、源頼朝の叔父であり、「鎮西八郎」として武勇を知られた猛将だったが、保元の乱に敗れて伊豆大島に流罪とされ、その際に伊豆大島から実は琉球に渡っていたという伝説があったといわれている。
江戸時代前期の尚質の時代に羽地朝秀が王命で琉球最初の正史である『中山世鑑』を編纂しているが、これによると為朝は伊豆大島を脱出して琉球に流れ着き、そこで豪族の大里按司の妹と結ばれて尊敦という息子が生まれたという。この息子が浦添按司となり、天添氏25代の時に謀反によって天孫氏を滅ぼした利勇を討ち、22歳で諸侯の推挙を受けて国王になり、後に舜天王になったと記録されている。
ただ、この為朝伝説は後の源義経がモンゴルに渡ってチンギス・ハーンになったとされる義経伝説に等しく、作り話に等しいものといわれている。碑のある場所は為朝が琉球に上陸した場所といわれており、碑文は東郷平八郎によるものといわれている。
アクセス[編集]
- 運天のバス停からすぐ。