河北新報
河北新報(かほくしんぽう)は、河北新報社が発行する日刊新聞である。2017年には創刊120周年、2008年には紙齢4万号を迎えた。
概要[編集]
題号は明治維新後「白河以北 一山百文」と東北地方が軽視されたことに由来するもの。
発行拠点は仙台のみだが、東北6県で販売され、東北地方に販路と総局をもっており、「ブロック紙」のひとつとされている。
紙面印刷は、2003年に完成した、泉パークタウン(仙台市泉区)所在の子会社の河北新報印刷(旧・河北新報印刷センター)のみて行っている。他紙の印刷業務も一部受託しており、2011年(平成23年)秋から朝日新聞の受託印刷を開始し、2012年(平成24年)春からは読売新聞の受託印刷を開始している。
歴史[編集]
河北新報は1897年(明治30年)1月17日、一力健治郎によって創刊された。当時としては画期的な英文欄の創設、無休刊の宣言、外勤記者の制服制帽着用や、全員の自転車取材を奨励した。
地元の宮城県内での世帯普及率は63.57%とされている。宮城県内の市場占有率は、71.99%に及ぶ。 東北6県の発行部数は(公称)朝刊454,519部、夕刊52,144部である(ABC 2016.1-6月平均部数)。
東北帝国大学(現東北大学)設立に関して、河北新報は、東北の発展に大学の必要性を訴え続け、明治40年6月22日に東北帝国大学が設立された。
東北の美術界を育成するため1933年、第1回河北美術展(当時東北美術展)を開催し、現在までに70回を数える。
2011年の東日本大震災では、河北新報社はCTSが転倒したため、新聞製作が困難になり、災害協定を結んでいた新潟日報社の全面協力を得て、当日の河北新報号外、翌日付朝刊を発行した。「再生へ 心ひとつに」を合言葉に、被災者に寄り添う報道を続けている。東北地方太平洋沖地震発生(3月11日)から翌日(3月12日)の朝刊を刷り上げるまでの河北新報社内のドキュメントは、『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』として出版された。
1997年(平成9年)には米の栽培と人間生活を扱った連載企画「オリザの環」で日本新聞協会賞を受賞した。
社主は、創業者の一力健治郎の死去に伴い、1929年(昭和4年)次男の一力次郎に代わった。1970年(昭和45年)7月7日、一力次郎の死去により長男である一力一夫が三代目の社主となった。一力家は東北地方の経済振興に影響力を持った他、日本相撲協会の横綱審議委員会に参画するといった日本の文化面にも影響を与えている。
購読料[編集]
2018年9月現在の購読料は次の通り。
- 河北新報 朝・夕刊セット4,037円(本体価格3,738円+消費税299円)
- 河北新報 朝刊のみ3,093円(本体価格2,864円+消費税229円)
- 河北新報 夕刊のみ1,285円(本体価格1,190円+消費税95円)
参考文献[編集]