水上勉
水上勉(みずかみ つとむ、1919年3月8日-2004年9月8日)は、作家。
人物[編集]
福井県生まれ。幼いころ京都の寺に入れられるが、その時知ったのが、のち金閣寺を焼くことになる林承賢であった。立命館大学文学部国文科を中退。宇野浩二に師事。妻帯し、東京の明大前に住んで、戦後『フライパンの歌』を刊行してベストセラーになるが、その後仕事がなく、子供向けの再話の仕事などで糊口をしのぐ。この時期人手に渡した幼い男児が、のちの美術評論家の窪島誠一郎である。
川上宗薫とは文学仲間で、宗薫は何度も芥川賞候補になっていたが、水上をモデルにしたことがあり、以後水上と、お互いをモデルにして好色さを描く関係になり、水上が『好色』を書いて関係が破綻した。
1959年ころから、『海の牙』などの推理小説がブームになり、『飢餓海峡』は内田吐夢の映画化で広く知られた。61年『海の牙』で日本探偵作家クラブ賞を受賞、『雁の寺』で直木賞を受賞し、作家的地歩を固めたが、大岡昇平が怒って「純文学論争」を起こしたのも、水上や松本清張の推理小説ブームのためであった。また『五番町夕霧楼』で金閣放火事件を扱い、『湖の琴』とともに映画化されて話題となった。
1963年には谷崎潤一郎が『越前竹人形』を「毎日新聞」で三回にわたって絶賛した。若狭で、竹人形による人形芝居に長く力を入れていた。
障碍をもつ娘を描いた『くるま椅子の歌』で1965年婦人公論読者賞を受賞。
1966年から85年まで直木賞選考委員、85年から88年まで芥川賞選考委員を務めた。
1970年『宇野浩二伝』で菊池寛賞を受賞、73年『兵卒のたてがみ』『北国の女の物語』で吉川英治文学賞を受賞。1975年『一休』で谷崎潤一郎賞を受賞。77年「寺泊」で川端康成文学賞を受賞。1983年『良寛』で毎日芸術賞受賞。85年日本芸術院賞・恩賜賞受賞、日本芸術院会員。98年文化功労者となる。2002年『虚竹の笛』で親鸞賞受賞。
ほかに「ブンナよ木からおりてこい」『土を食らう十二ヶ月』など多くの作品がある。一休、良寛伝などは、事実のように見せかけて架空の史料を用いているため注意が必要である。
若い頃は「みなかみつとむ」と読まれていたが、途中で自ら訂正した。