宇野浩二
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宇野浩二(うの こうじ、1891年7月26日-1961年9月21日)は、日本の作家。
人物[編集]
福岡市生まれ。本名は格次郎。明治43年(1910)、早稲田大学文学部英文科予科に入る。近松秋江を知る。大正2年(1913)処女著作『清二郎夢見る子』を刊行。大正4年(1915)早大中退。5年、私娼伊沢きみ子と同棲する。6年「処女文壇」の編集者となる。8年(1919)、近松秋江をモデルとした「蔵の中」を発表し、文名あがる。9年、村田キヌと同棲。11年、星野玉子との間に男児誕生。
昭和2年(1927)精神に変調を来し斎藤茂吉の診察を受ける。広津和郎と親しい。このころ村上八重と関係する。昭和7年(1932)、小出楢重をモデルとした「枯木のある風景」を書く。9年、文藝懇話会会員となる。13年(1938)、芥川賞銓衡委員となる。1940年、菊池寛賞受賞。
1946年、水上勉が晩年の弟子となる。49年、日本芸術院会員となる。51年「思ひ川」で読売文学賞受賞。広津とともに松川裁判に関わり続け、70歳で没した。
伝記[編集]
- 水上勉『宇野浩二伝』中央公論社、1971 のち文庫