毎月勤労統計調査

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毎月勤労統計調査(まいつききんろうとうけいちょうさ)は、賃金労働時間及び雇用の変動を把握するために統計法に基づき、厚生労働省が毎月実施、公表する調査である。勤労統計は月例経済報告、失業給付の算定基準など幅広く用いられる国の「基幹統計」となっている。都道府県を通じて1人あたりの基本給残業代出勤日数、労働時間を調べる。物価の影響を加味した実質賃金も算出する。調査結果は景気動向の指標など、幅広く活用されている。

沿革[編集]

  • 1923年(大正12年)7月、内務省社会局により「職工賃銀毎月調査」及び「鉱夫賃銀毎月調査」が調査開始された。北海道ほか 22府県(本県を含む)における工場及び東京鉱務署ほか4鉱務署管内における鉱山合計 510所を対象とした[1]
  • 1939年(昭和14年)、 33府県における工場、鉱山、交通関係事業体約7,200所を対象を拡大した。
  • 1944年(昭和19年)7月、勤労統計調査令(昭和19年4月勅令第265号)に基づき、毎月勤労統計調査が内閣統計局によって開始された。全府県における工場、鉱山、交通関係事業体約 8,900所を対象とする。
  • 1946年(昭和21年)12月、百貨店、銀行、信託業、保険業を調査対象に追加した。
  • 1948年9月、勤労統計調査の企画立案及び公表の権限を労働省に移管(実施は総理府統計局)。
  • 1950年(昭和25年)1月 毎月勤労統計調査規則(労働省令)制定。標本理論を導入する。産業別に異なっていた調査対象規模の下限を常用労働者 30人以上に統一した。10月、日本標準産業分類を採用(対象産業:鉱業、製造業、卸売及び小売業、金融業及び保険業、不動産業、運輸通信及びその他公益事業)する。
  • 1951年(昭和26年)4月、調査を労働省に全面移管する。全国調査に加え、地方調査を開始した。
  • 1952年(昭和27年)1月、建設業を調査対象に追加する。
  • 1971年(昭和46年)1月 サービス業の範囲を「家事サービス業」と「外国公務」を除く全体に拡大。
  • 1972年(昭和47年)7月、沖縄県を調査対象に追加し、調査範囲を拡大した。
  • 1990年(平成2年)1月、甲調査・乙調査の統合と地方調査の拡充。
  • 1993年(平成5年)1月、パートタイム労働者についての調査項目を新設。
  • 2001年(平成14年)1月、全国調査における一般・パート別の賃金・労働時間指数を公表。3月 毎月勤労統計調査オンラインシステムによる調査票登録開始。
  • 2005年(平成17年)1月、2001年(平成14年)3月改訂の日本標準産業分類に基づく集計、公表開始。
  • 2009年(平成21年)4月、統計法基幹統計に指定される
  • 2010年(平成22年)1月、2007年(平成19年)11月改訂の日本標準産業分類に基づく集計。平成22年公表開始。

毎月勤労統計調査の体系[編集]

  • 全国調査[2]
  • 地方調査
  • 特別調査

調査方法の問題[編集]

2019年1月9日、全数調査が必要な対象事業所の一部が実際には調べられていないミスがあることが判明した[3]。また不適切な調査は2004年から行われていたことが判明している[4]。 政府は平成31年度予算案の修正と再度の閣議決定が必要となった[5]

菅官房長官は2019年1月16日の会見で不適切な毎月勤労統計調査の方法は統計法違反の疑いがあることを認めた[6]

2019年1月17日、不正データを補正するための基礎資料のうち、2004~11年分は紛失や廃棄されていることが判明した[7]。さらに、失業保険などの過少支給により延べ約1973万人に約537.5億円の追加給付が必要となるが、システムの改修や人件費などの事務経費として数百億円を要することが判明した[8]

2019年2月10日、厚生労働省が2015年に開いた有識者検討会「毎月勤労統計の改善に関する検討会」の議事録が3年以上作成されてないことが判明した。検討会の最終会合で示された「中間的整理案」では、検討会委員らは変更に慎重であったと伝わる。2015年10月に麻生財務大臣が毎月勤労統計調査の改善方法を検討したいと発言したことが影響した可能性もある[9]

参考文献[編集]