橋本氏
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橋本氏(はしもとし/はしもとうじ)とは、橋本蔵人を始祖とするとされる日本の氏族である。
概要[編集]
年代不明の橋本蔵人が始祖[2]とされる。蔵人は橘氏や楠木氏の祖とも言われる。その後は39代までわかっていないが平安時代から鎌倉時代にかけて、39代当主の橋本以綱が陸奥国の国司となった事が判明している[2]。その後橋本以長、橋本以政と続いて42代橋本広房の時に信濃国国司、44代橋本以良の時に阿波国国司と各地を転々としてきた。47代橋本以季から記録が途絶えたが、50代橋本太郎の時に楠木正成に仕える武士である事が判明する[2]。その後橋本宣都寺の時代に平城の片原一色城が築城される。ここが橋本宗家としての最盛期とも言える。城主として59代橋本道一まで続いたが、一国一城令発布により廃城となる。ちなみに道一の息子、橋本一把は火縄銃を織田信長に教えた人物としても有名。その後橋本道正、橋本正太と続くが、その後橋本宗家がどうなったかは不明(足利氏と同じケース)。