植田琢磨

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植田 琢磨(うえだ たくま)は、日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)の議長(最高幹部)。九州出身で電機系の労働に従事していたとされる[1]

1996年に革マル派結成時から議長を務めてきた黒田寛一が退任すると、後任の議長に選出された[2][3][4][5]。どのような活動歴を持つ人物なのかは不明で、革マル派の機関紙誌にもあまり登場しないことから、植田は傀儡で実権は2006年の死去まで黒田が、その死後は森茂土門肇などが握っているという説もある。2001年に機関紙『解放』で、「中卒の機械工であった私」が議長に選出された時、「ある同志は嘲笑の目をもって私に語りかけたほどだ」と語ったとされる[6]中核派の機関紙『前進』には「植田と名のる男は当然いるとは思うが、革マル派議長としての植田の実在性は疑問だ。植田を登場させるたびに、自分が中卒であることを強調させる革マルのイヤラシサも相当なものだ。」との読者からの手紙が掲載されている[7]

出典[編集]

関連文献[編集]

  • 野村旗守『Z(革マル派)の研究』月曜評論社、2003年
  • 宗形明『異形の労働組合指導者「松崎明」の誤算と蹉跌――「JR東日本革マル問題」の真相と現状』高木書房、2009年