森野秀彦

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森野 秀彦(もりの ひでひこ、1985年1月3日 - )は、日本の音楽プロデューサー実業家ソングライターHit Music Records株式会社代表取締役社長。東京都中央区明石町生まれ。

経歴[編集]

両親が共働きの家であり小学校は越境通学をしていたため、近所に学校の友達もいなく、一人っ子だったため幼い頃から留守番が多くその時間で鍵盤楽器に触れているうちに演奏が自然と出来るようになり、作曲などをして遊んでいた。コードなどの知識を得て相対音感も身につけて言いた。

小学4年生のころある日高熱を出して寝込んでいる時に、無意識に聞いていたTRFのアルバムに感動しクレジットタイトルをチェックした時に小室哲哉の名前を知る。以降非常に小室の音楽に興味を抱き、小学5年生のころにglobeの1stアルバム『globe』を聴き込み、プロのミュージシャンになることを決めた。

2006年から2007年の1年間、約70社のレコード会社音楽出版社、テレビ局、芸能事務所などに自身のデモテープを送り続けた。その中から声がかかった会社がソニー・ミュージックパブリッシングであった。2008年2月、正式にソニー・ミュージックパブリッシングと契約し、プロの音楽家としてのキャリアをスタートした。所属時代、森野の名義で最初に世に出た楽曲がKAT-TUNの『D-T-S』であった。こちらはロッテ プラスXのCMソングタイアップ楽曲。

以降作曲家としての活動を続けていたが音楽制作以外にも、音楽ビジネス、芸能ビジネスにおける全てのワークフローに興味が湧くようになり自身にこの仕事が合っていないのではと疑問を抱くようになる。

2010年ユニバーサルミュージックA&Rを募集している情報を知る。狭き門とは知りながらも応募したところ、書類選考を通過し当時のレーベルヘッドであった鈴木篤史の目にとまりユニバーサルミュージックにA&Rとして入社。A&Rとしてのキャリアのスタートとなった。

そこからはBEAST4MinuteなどK-POPアーティストを担当する一方、Spontaniaも担当する。Spontaniaのメンバー構成がたまたまglobeと同じだったことと三人体制になった新規スタートということから森野のアイデアでglobeの『DEPARTURES』をカバーすることにした。これがきっかけとなり森野と小室哲哉との初めての出会いが実現する。以降も様々なアーティスト、ジャンルのA&Rを担当。音楽ビジネスモデルを体当たりで覚えていった。

2024年5月21日、自身が代表取締役となり音楽レーベル、芸能事務所を兼ねたHit Music Records株式会社を設立。こちらでは第一弾アーティストとしてNEWSの元メンバーである草野博紀と契約した。

人物[編集]

英語が堪能である。22歳のころ六本木でアメリカ人のミュージシャンたちと遊んだり、スタジオでセッションしているうちに英語を身につけたいという思いが強くなり、毎日英語漬けで生活した。コミュニケーションを通してわからないフレーズや言い回しに出会う度にiPhoneのメモアプリに記入し続けた。誰かにものを教わることも教えることも嫌いなため、ピアノと同じく英語も完全に独学で身につけた。

ソニー・ミュージックパブリッシング所属時代、最初の楽曲コンペがKAT-TUN楽曲発注だったが、それまでまともにジャニーズ事務所所属の楽曲を聞いたことがなかったため、近所のレンタルCDショップに行き、片っ端から同所所属のグループのCDを借りて各グループの特徴などを研究した。のちに本人が「ジャニーズ楽曲はディズニーランドのような感覚の世界観で、興味がない人でも一度足を踏み入れたら楽しくなり好きになる。好きになれたからこそ、その世界観が理解でき音楽で表現できた。」と語っている。血液型はB型。愛称は<ヒデさん><ヒデちゃん><ヒデ>など。趣味はランニングと筋トレ。語学。最近ではスペイン語を学んでいる。

脚注[編集]

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出典[編集]