板垣退助遭難碑(いたがきたいすけそうなんひ)とは、岐阜県岐阜市千畳敷の岐阜公園内に存在する石碑である。
明治時代に自由民権運動で名を馳せた板垣退助が、明治15年(1882年)4月6日、岐阜遊説でこの地にあった中教院からの帰途において、玄関において刺客に襲撃されて重傷を負った場所とされ、有名な「板垣死すとも自由は死なず」はこの時に言われたとされている。ただし、随行していた安芸喜代香の手記によるとこの時の言葉は「馬鹿な奴、板垣を殺したちいうか、自由は死なんぞ」だったという。
なお、この石碑の後ろには右手を高く上げた板垣退助の銅像も存在する。
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