松田盛秀内儀(まつだ もりひでないぎ、生没年不詳)は松田盛秀の妻である。戦国時代の女性であるが、氏名と生没年は不詳である。
相州江ノ島岩本院文書に「松田盛秀殿御内儀」とされている。鎌倉大乗寺文書によれば、北条為昌(玉縄城主)の娘、松田盛秀室とされている。この時代では娘は養女も含むので、関係者の年齢からすると北条為昌の養女である可能性もある。
北条家家老の文書である関戸文書では、北条綱成の妹とされる。子に松田憲秀、松田康隆、女(御宿綱秀室)がある。
秀吉の小田原征伐のとき、小田原を火の海にしなかったのは、子息の松田憲秀の功績とする説もある[1]。