松山新田藩
ナビゲーションに移動
検索に移動
松山新田藩(まつやましんでんはん)とは、江戸時代中期に一時的に伊予国に存在した藩である。伊予松山藩の支藩であり、新田藩のため藩庁などは存在しない。陣屋大名で、藩主家は親藩で家門の久松松平家。石高は1万石。
概要[編集]
享保5年(1720年)に松山藩の第5代藩主・松平定英が父・松平定直の跡を継いで藩主となった際、弟の松平定章に伊予国桑村郡・越智郡の内の新田1万石を分与したことにより、松山新田藩が立藩した。
延享4年(1747年)に定章は死去し、子の松平定静が第2代藩主となる。明和2年(1765年)、定章は本家の松山藩の第8代藩主を継承することとなり、これにより新田藩1万石の所領は松山藩によって収公され、廃藩となった。
歴代藩主[編集]
- 松平〔久松〕家
親藩 1万石 (1720年 - 1765年)