杢野甚七
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杢野 甚七(もくの じんしち、1814年 - 1904年)は、三河国宝飯郡前芝村(現在の愛知県豊橋市)出身の海苔養殖農家。
三河地方における海苔養殖の先駆者である。三河地方は戦前の日本における三大海苔養殖産地のひとつに数えられている。
経歴[編集]
文化11年(1814年)、三河国宝飯郡前芝村(現在の愛知県豊橋市)の農家に生まれた。父親は杢野銀右衛門。前芝村の蛤蛛庵(しじみあん)の寺子屋に学んだ。前芝村は三河湾に面する漁村であり、農閑期には海岸で貝類を採って生計の足しにした。
商人に話を聞いたことで海苔の養殖に興味を持ち、40歳の時に養殖の試みを開始した。農地を売却するなどして資金を得ると、安政4年(1857年)には乾燥海苔の製造に成功し、三河吉田藩の藩主に献上した。養殖場の拡張を図るとともに仲間を集め、慶応3年(1867年)には前芝村の84人で1260両の収益を得るまでに成長した。1904年(明治37年)に90歳で死去した。
顕彰碑[編集]
豊橋市前芝町西青の海岸には顕彰碑「海苔創業者杢野甚七碑」が建てられている。
関連項目[編集]
- 芳賀保治 - 三河国における乾海苔製造の先駆者。
参考文献[編集]
- 本田勇夫「杢野甚七 三河海苔養殖の創始者」『郷土ほりおこし 東三河の歴史』
- 井野川仲男「愛知の水産史 ノリ養殖の沿革」『愛知水試研報』2016年、21号、pp. 22-42