李広利

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李 広利(り こうり、? - 紀元前89年)は、中国前漢武将。妹に前漢の皇帝である武帝の寵妃・李夫人と、兄に武帝の寵臣の李延年がいる。

生涯[編集]

中山郡(現在の河北省定州市)の出身。武帝の寵姫・李夫人の兄である縁戚関係から取り立てられ、弐師将軍に任命され、当時前漢と敵対していた大宛(トルキスタンフェルガーナ)を討伐する遠征軍の大将に任命される[1]。弐師城(フェルガーナのマルギラン付近)を攻略してその地方の良馬を手に入れるのが目的だったとされ、紀元前104年タクラマカン砂漠に入って中途の小国を攻めつつ西進するが、小国の大半は容易に服属しようとせず、大宛の東にあった郁成国に至った時は軍勢の兵卒は飢えと疲労に悩まされてこの遠征は大敗に終わり、李広利は残った兵を率いて敦煌郡にまで戻った[1]。この大敗を知った武帝は激怒して玉門関を閉ざして中央への帰還を許さず、6万人の増援を与えて李広利に再度大宛への遠征を命じ、中途の小国も今度は前漢の圧倒的な兵力を恐れて服属した[1]

前回の遠征よりも短期間で西進した李広利は、大宛の城下に至って遂に包囲し、水流を変化させて城中に水を補給できないようにした[1]。これに参った城内では大宛王を殺して李広利に降伏を申し込み、李広利は大宛王の首級と西域の良馬を多数手に入れて帰国し、この功績により海西侯に封じられた[1]

後に武帝の命令で朔方郡から匈奴討伐に出陣したが、敗北して降伏する[1]。そして狐鹿姑単于によって処刑された[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e f g 青木五郎、中村嘉広 編『史記の事典』大修館書店、2002年、p.562

参考文献[編集]