杉森久英
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杉森久英(すぎもり ひさひで、1912年3月23日-1997年1月20日)は、編集者、作家、伝記作家。
人物[編集]
石川県生まれ。東京帝国大学文学部卒。河出書房の『文藝』の編集長を務める。かたわら小説を書き、1953年「猿」で芥川賞候補、59年直木賞候補となり、1962年、島田清次郎の生涯を描いた『天才と狂人の間』で直木賞を受賞。1963年『昭和の謎「辻政信」伝』で文藝春秋読者賞受賞、1985年、私小説『能登』で平林たい子文学賞を受賞。1987年『近衛文麿』で毎日出版文化賞受賞。93年、菊池寛賞受賞。
志賀直哉と太宰治[編集]
1948年、志賀直哉が座談会の席で太宰治を悪く言い、太宰は「如是我聞」で激しく言い返して、その後で心中した。これは鎌倉文庫が出していた『社会』という雑誌に載った川端康成、広津和郎との「文藝鼎談」でのことで、太宰が引用したのもここからだが、杉森は『戦後文壇覚え書』(1998)で、これが自分が編集長をしていた『文藝』に載ったものだったと書いており、実際その年、『社会』よりあとに、志賀が『文藝』で佐々木基一、中村真一郎を相手にした「作家の態度」で太宰の悪口を言っているのだが、これは太宰が死んだあとで出たものである。『志賀直哉対話集』(大和書房、1969)では、「文藝鼎談」の初出を『文藝春秋』と誤記しており、これらのため、今に至るも太宰を怒らせたものを『文藝』とする誤記が多い。