朴庸坤

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朴 庸坤(パク・ヨンゴン、1927年11月[1] - )は、在日朝鮮人の社会科学者。元朝鮮大学校副学長。

経歴[編集]

1927年11月、日本統治下の朝鮮・全羅南道和順郡(現・大韓民国)生まれ[1]。終戦後に南朝鮮労働党の活動家となるが、濡れ衣のスパイ容疑を掛けられて故郷に居づらくなったため、1948年6月に日本に渡る。愛知大学に編入し、マルクス経済学者の林要らに師事。同大学院を経て助手となり、11年にわたって同大学に在籍する[2]。1959年に在日朝鮮人とその家族の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への帰国事業が開始される。当時日本人女性(後の妻)と交際しており、故郷の父親が結婚を認めるはずがないため、北朝鮮への帰国事業に申し込む。1960年初頭に出発する予定だったが[3]朝鮮総聯の命令で急遽取り止めとなり、同年に幹部教育機関である中央学院を経て、規模の拡大で教員の増員が求められていた朝鮮大学校の教員となる[4]。1970年代から朝鮮労働党の政治思想である主体思想を研究し[5]、日本における主体思想研究の第一人者となる[1]。1974年に初めて訪朝[4]。1980年代から90年代に未來社から刊行された「主体思想叢書」の編集・出版を主導[5]

朝鮮大学校政経学部長、同副学長、在日本朝鮮社会科学者協会会長、主体思想国際研究所理事、朝鮮総聯中央委員などを歴任[1][5]。2007年10月にNHKスペシャルの在日朝鮮人の帰国事業を扱ったTV番組において、1972年に朝大生200名を金日成首相の還暦祝いとして北朝鮮に送った秘話を公にした[6]。このことなどが問題視され、同年に全ての称号や20年以上務めた朝大副学長の役職などを剥奪された[1][7]。2017年に自叙伝『ある在日朝鮮社会科学者の散策――「博愛の世界観」を求めて』を出版。同書で本来は「博愛の世界観」である主体思想が金正日総書記によって捻じ曲げられたことや、これに不満を持ったことが黄長燁書記が韓国へ亡命する契機となったことなどを明らかにした[7]

著書[編集]

  • 『チュチェ思想の世界観』 未來社、1981年
  • 『チュチェ思想に関する研究論文集』 共著、外国文出版社、1987年
  • 『チュチェ思想の理論的基礎』 未來社(チュチェ思想叢書)、1988年
  • 『主体的世界観』 未來社(チュチェ思想叢書)、1990年
  • 『ある在日朝鮮社会科学者の散策――「博愛の世界観」を求めて』 現代企画室、2017年

分担執筆[編集]

  • 金日成主席誕生70周年記念研究論文集』 チュチェ思想国際研究所、1982年
  • 金正日書記誕生50周年記念研究論文集』 チュチェ思想国際研究所、1992年

脚注[編集]