明玉珍
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明 玉珍(めい ぎょくちん、1331年 - 1366年)は、元末明初期における群雄。夏を建国してその初代皇帝となり、一時は大いに勢力を振るったが中途で病死した[1](1361年 - 1366年)。
生涯[編集]
随州(現在の湖北省)の出身[1]。実家は地主で、元末期に紅巾の乱が発生すると一帯の地主を集めて自警団を結成する[1]。1353年に紅巾軍を率いる徐寿輝に降伏して臣下となり、1356年には現在の四川省に進出する[1]。1360年、徐寿輝が陳友諒に殺害されると自立し、翌年に自ら皇帝に即位して国号を夏とした[1]。雲南や貴州にまで勢力を拡大するなど一時は勢いがよかったが、1366年に36歳の若さで崩御した[1]。
跡を息子の明昇が継ぐが、明玉珍の没後に明を建国した洪武帝の勢いに太刀打ちできず、夏はわずか5年後に崩壊した[1]。