陳友諒
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陳 友諒(ちん ゆうりょう、1320年 - 1363年)は、元末明初期における群雄。後に漢を建国してその初代皇帝となるが、朱元璋に敗れて敗死した(在位:1360年 - 1363年)[1]。
生涯[編集]
眄陽(現在の湖北省)の出身[1]。実家は漁師で、陳友諒は最初元の県吏となる[1]。1350年に徐寿輝の反乱軍に参加し、紅巾の乱に一役を買う[1]。最初は徐寿輝に忠実に従っていたが、やがて有力な同僚を次々と謀殺して台頭してゆく[1]。1360年には遂に主君の徐寿輝まで殺害し、自ら皇帝に即位して国号を漢と定めた[1]。
しかし1363年、朱元璋との戦いに敗れて戦死した(鄱陽湖の戦い)[1]。享年44。跡を子の陳理が継いだが、翌年に朱元璋に降伏して漢は滅んだ[1]。