旧矢箆原家住宅
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旧矢箆原家住宅(きゅうやのはらけじゅうたく)は、岐阜県大野郡荘川村(現・高山市)から横浜市の三渓園に移築された合掌造の民家である。莊川村民家の代表的な民家である。
概要[編集]
岩瀬(矢箆原)佐助は、飛騨三長者のひとりで、飛騨地方の民謡に「宮で角助、平湯で与茂作、岩瀬佐助のまねならぬ」と呼ばれた。広い囲炉裏のある「おいえ」は家族のだんらんの部屋であり、村の寄り合いも行われた。荘川村(現・高山市荘川地区)では最大の住宅であった。
1957年、ダム工事にともない水没することになり、建物を救うため1960年11月に三渓園に寄贈され移築された。重要文化財。白川郷五箇荘の合掌造りは切妻屋根であるが、荘川合掌造りは入母屋の茅葺である。一階部分南側は、農家の作りである。屋根の「茅」は阿蘇の草千里のススキを使用している。屋根の妻部に禅宗寺院によく見られる火灯窓がある。土間の大半はウマヤで、作業場は低い板の間のウスナワで行われた。広間と奥座敷には床も造られた書院造となっている。ナカノマは仏間も兼ね、大きな仏壇が作られている。封建時代末期の豪農の経済力を示している。