把瑠都凱斗
把瑠都 凱斗(ばると かいと、1984年11月5日 - )は、エストニア共和国の実業家、元大相撲力士、元エストニア国会議員。本名はカイド・ホーヴェルソン (Kaido Höövelson)。公式プロローグから身長198cm、体重188kg、血液型A型。
概要[編集]
エストニア共和国(出生時はソビエト連邦傘下のエストニア・ソビエト社会主義共和国)レーネ=ヴィル県エバベレ村出身の元エストニア人力士。尾上部屋に所属していた。
相撲歴[編集]
十両[編集]
身長198cmという体格を生かした取り口により初土俵から所要8場所での新十両に昇進した。その後も、一度幕下に陥落したものの、北の富士以来となる43年ぶり4人目の十両全勝優勝を果たすなどし、所要12場所での新入幕というスピード出世を果たす。
幕内[編集]
十両陥落[編集]
新入幕となる2006年5月場所では、11勝4敗を記録。三賞の一つ敢闘賞を受賞するなどした。翌場所も勝ち越し、2006年9月場所では当時の自身最高位となる東前頭筆頭まで昇格。しかし、この場所で膝を痛めて休場。以後、二度にわたって十両に陥落するもいずれも優勝し、通算三度目の十両優勝を果たす。翌場所には、幕尻ながらも優勝争いに加わり、再び敢闘賞を受賞した。
大関昇進[編集]
2008年9月場所で初の三役となる小結昇進を果たした。この場所で勝ち越し、翌場所では関脇にまで昇進した。その後はしばらくの間停滞が続いていたが、2009年9月場所で当時いた5大関全員に勝ち、大関昇進の話題が出始める。これは1986年の保志(後に横綱となる北勝海)以来13年ぶりの事だった。翌場所に9勝6敗、翌々場所には白鵬を破るなど12勝3敗とし殊勲賞を受賞。大関昇進の目安となる33勝には達していたものの、大関昇進はならなかった。しかし、2010年3月場所において突き押しからの攻めがさえ、14勝1敗の成績を残す。白鵬に敗れ優勝こそ逃したものの、敢闘賞・技能賞を受賞するなど高く評価され、大関昇進を決めた。
大関時代[編集]
大関昇進後は脆さが出て、10勝前後の成績で推移し、なかなか優勝争いに加わることができなかった。
横綱白鵬には大関昇進後、勝利することができないでいたが、2011年7月場所で久しぶりに勝利。
2011年11月場所では、千秋楽結で全勝優勝を狙う白鵬に勝利して全勝優勝を阻止した。
2012年1月場所では初日から連勝を重ねて13日目に初の幕内最高優勝を成し遂げた。大関の13日目の優勝は大関時代の白鵬以来。千秋楽に白鵬に敗れてしまい全勝優勝は逃し、14勝1敗の成績で終わった。
関脇陥落[編集]
2012年9月場所では途中休場により負け越し、大関角番の11月場所でも勝ち越せず関脇に陥落する。2013年1月場所では勝ち越したが大関復帰はできなかった。9月場所に現役引退。
引退後[編集]
引退後は実業家となり、2019年にエストニアの国会議員となったが、2023年の選挙で落選した。
成績[編集]
2013年9月場所終了後における戦績。
優勝[編集]
- 幕内最高優勝:1回(2012年1月場所・14勝1敗)
- 十両優勝:3回(2006年3月場所、2007年5月場所、2007年9月場所)
- 幕下優勝:1回(2006年1月場所)
- 序二段優勝:1回(2004年9月場所)
- 序ノ口優勝:1回(2004年7月場所)
通算成績[編集]
- 通算勝利数:431勝213敗102休(55場所)
- 幕内勝利数:330勝197敗88休(41場所)
三賞[編集]
- 三賞:7回
- 殊勲賞:1回(2010年1月場所)
- 敢闘賞:5回(2006年5月場所、2007年11月場所、2008年3月場所、2009年9月場所、2010年3月場所)
- 技能賞:1回(2010年3月場所)
場所別成績[編集]
年数 | 一月場所 | 三月場所 | 五月場所 | 七月場所 | 九月場所 | 十一月場所 |
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2004年 | 前相撲 0勝0敗 |
東序ノ口 #40 7勝0敗 優勝 |
東序二段 #30 7勝0敗 優勝 |
西三段目 #33 5勝2敗 | ||
2005年 | 東三段目 #6 6勝1敗 |
西幕下 #32 5勝2敗 |
東幕下 #22 6勝1敗 |
西幕下 #6 5勝2敗 |
西十両 #14 12勝3敗 |
西十両 #4 0勝1敗14休 |
2006年 | 西幕下 #3 6勝1敗 優勝 |
東十両 #11 15勝0敗 優勝 |
西前頭 #11 11勝4敗 敢闘賞 |
西前頭 #4 9勝6敗 |
東前頭 #1 4勝7敗4休 |
西前頭 #6 10勝5敗 |
2007年 | 西前頭 #3 2勝2敗11休 |
西前頭 #13 休場 |
西十両 #11 14勝1敗 優勝 |
東前頭 #14 0勝2敗13休 |
西十両 #9 13勝2敗 優勝 |
東前頭 #16 11勝4敗 敢闘賞 |
2008年 | 西前頭 #6 7勝8敗 |
東前頭 #7 12勝3敗 敢闘賞 |
西前頭 #1 5勝10敗 |
西前頭 #5 10勝5敗 |
東小結 8勝7敗 |
西関脇 9勝6敗 |
2009年 | 東関脇 9勝6敗 |
東関脇 8勝7敗 |
東関脇 4勝11敗 |
西前頭 #3 11勝4敗 |
東小結 12勝3敗 敢闘賞 |
東関脇 9勝6敗 |
2010年 | 東関脇 12勝3敗 殊勲賞 |
東関脇 14勝1敗 敢闘賞 技能賞 |
西大関 #3 10勝5敗 |
東大関 #1 8勝7敗 |
東大関 #2 9勝6敗 |
西大関 #1 11勝4敗 |
2011年 | 西大関 #1 9勝6敗 |
八百長問題 により中止 |
東大関 #2 10勝5敗 |
東大関 #1 11勝4敗 |
西大関 #1 10勝5敗 |
東大関 #1 11勝4敗 |
2012年 | 東大関 #1 14勝1敗 優勝 |
東大関 #1 10勝5敗 |
西大関 #1 9勝6敗 |
東大関 #2 9勝6敗 |
西大関 #2 1勝3敗11休 |
東大関 #3 1勝2敗12休 |
2013年 | 西関脇 8勝7敗 |
西関脇 9勝6敗 |
西関脇 3勝5敗7休 |
東前頭 #6 休場 |
東十両 #3 引退 |